東京新聞記事を掲載します。〈はたらく 現場から〉越冬支援 ホームレス列に元派遣若者

労働相談Q&A

 1月13日、東京新聞の記事を掲載します。

 

【暮らし】

<はたらく 現場から>越冬支援 ホームレス列に元派遣若者 

2012年1月13日

 

公園でたき火を囲むホームレスたち。駅前の高層ビルが間近に見えた=名古屋市で

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 厳しく冷え込んだ昨年十二月二十八日夕方。名古屋駅の高層ビル群の間近にある名古屋市の西柳公園に、炊き出しの親子丼を求めて百五十人ほどのホームレスや日雇い労働者らの列ができた。

 官公庁の窓口が閉まる年末年始に、路上で生活を送る人たちが深刻な状況に陥らないようにと、労働組合やキリスト教団体など十四団体でつくる「名古屋越冬実行委員会」が実施する「越冬活動」は今年で三十七回目。

 生活健康班を担う市民団体「笹島診療所」(同市)のメンバーたちは「体調はどう?」「三十日までなら無料宿泊所に入れますよ」などと声を掛けて回った。かぜなど体調不良を訴える人は公園の一角にあるテントに案内し、ボランティアの医師が診察。数日分の薬を処方する。越冬活動が終わる三日夜まで、声掛けと診察は続いた。

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 十二月二十九日からたき火を囲む二十代男性がいた。愛知県内の工場で派遣社員として自動車部品の製造に従事していたが、同月二十五日に派遣切りに遭い、寮を追われた。

 九州の出身。地元で働いたが仕事がなくなり、家族を頼って岡山県で派遣社員として働いていた。休みにハローワークで正社員の口を探したものの、見つからない。東日本大震災で仕事がなくなると契約の更新を断られ、仕事がある愛知県へとやってきた。

 「三月末まで雇う」という約束だったが、タイの洪水の影響で部品供給が滞り、仕事がほとんどなくなった。直前に「契約の更新はできない」と言われ、最小限の荷物をまとめて寮を出た。名古屋市のビジネスホテルに泊まりハローワークで仕事を探したが、見つからないままお金を使い果たした。

 屋外で夜を明かすのは初めて。横になる場所もなくほとんど眠れない。「自分たちの都合で突然“寮を出ろ”はひどい」と憤る。

 笹島診療所のメンバーは生活保護の申請も選択肢の一つと説明したが、男性は「働き続けていないと、次に働くときにしんどい思いをするので」と一時的に身を置きながら仕事が探せる名古屋市の自立支援センターの利用を希望した。

 同日に生活保護を申請した五十代男性は、長年、愛知県内の土木会社に勤めてきた。しかし、最近はほとんど仕事がなくなり、職場の人間関係も悪くなって昨年十一月末に退職、寮も出た。

 雇用保険もなく、サウナや漫画喫茶で寝泊まりしながら日雇いの仕事でしのいできたが、年末になって仕事がなくなった。お金もすぐ尽き「死のうかなと思った」と振り返る。二十八日夜に偶然、越冬活動を知り、二十九日から名古屋市港区の無料宿泊所に入ることができた。「自分が生活保護を受けられることも知らなかった」という男性は、じっくりと職を探すつもりだ。

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 リーマン・ショック後の二〇〇八年末から〇九年にかけての越冬では公園を埋め尽くす数百人が集まったものの、年々集まる数は減っている。診療所の活動に参加する日本福祉大の山田壮志郎准教授は「それだけ生活保護を受けるようになった人が増えたということだろう」と分析する。

 長年活動に携わる藤井克彦さん(69)は「本来は就労対策で支えなければならない人たちが支えられておらず、生活保護の受給者が増えるのは当然。就労対策にしっかりお金を掛けていくべきだ」と話す。 (稲田雅文)

<働ける世代の生活保護申請> 生活保護を受給している人は2011年9月現在、全国で過去最多の206万5896人。リーマン・ショック以降問題になっているのが働ける世代の受給で、働き盛り世代を含む「その他世帯」は全国で149万7000世帯中、25万4000世帯。09年1月の約2倍、10年前の約4倍に増えている。