「『評伝 棘男 労働界のレジェンド武建一』を読んで 事務局長 小泉義秀  

事務局

「『評伝 棘男 労働界のレジェンド武建一』を読んで

(平林猛著 2019年10月29日初版第1刷発行 展望社)

合同・一般労働組合全国協議会事務局長 小泉義秀

 はじめに

11月12日(火)19時より日比谷コンデンションホール(日比谷図書館地下1階)で上映された『棘』の上映会の入り口で、本書を買い求めた。上映会の終了後、近くの会場で交流会が行われ、その席上である映画監督が「平林さんの『棘男』は命をかけている。すばらしい」と述べた。本書を読んでそのことの意味を理解することができた。

交流会は著名な人士が次々と発言する場となった。私は買い求めた本書を椅子の下において、話に聞き入っていたところ、本書を複数買い求めた参加者の誰かが、誤って私の本を持ち去ったようだった。椅子の下を探してうろうろしていたところ、「そういえばそこに本がありましたね。間違えてもって行かれたのかも。別のものを用意します」と本を改めてもって来てくださったのが平林康子さんであった。本を探しているときに隣にいたのがアート・ディレクターの浅井克己氏であり、映画会の司会を担当した藤山顕一郎氏が、『仁義なき戦い』などの助監督を務めていたことも本書のエピローグを読んで知ることになる。どこかで見た人だと記憶を追っていたが、その時は分からなかった。

労働界のレジェンドと呼ばれる誇り高き男の肖像

『評伝 棘男』という異色のタイトルが奇を衒ったものでないことは、読む前から感じていたことではあった。しかし、このタイトルがこんなに相応しいものであるとは思っていなかった。読めば読むほどその棘の意味が伝わってきて、エピローグで著者自身の棘と繋がるのである。平林さんが労働組合の専従を担ったこともあることも終章の末尾に出てくる。

「労働者の命、ストライキを打っただけで、逮捕され幽閉されている。『棘男』武建一と『カンナマ』の組合員たちを取り戻す方法はないものか。

一ジャーナリストとして、一人の人間として、激しく国家権力に抗議する。

即時解放を! 皆さん、声をあげよう。そして行動に移そう。沈黙、無関心は罪です。

『若者よ! 何を怯えている。熱く激しいストライキを打て!』」(298頁)

第三章の末尾の一節である。著者の人生と命を懸けた、ふり絞るようなメッセージである。

三章構成の妙技

第一章は「ひとの痛みは己の痛み」というタイトルで、関西生コンにかけられた今回の弾圧を描いている。私は関生関係の著作は何冊も読んでいるが、この第一章の展開の手法と内容は平林さん以外に書けないかもしれない深みがある。

第三章「経済成長の底辺で」は武建一さんが大坂に出て関西生コンの委員長になり、ヤクザに殺されかけた経緯など、これも著者の妙技で描かれている。文章を描く技術もさることながら、著者の人生と経験をかけた踏み込みの中で武建一委員長の半生に迫る内容が力強い。

第二章「反骨の島」は重厚な内容であり、圧倒された。第一章、第三章は、私が読んだ何冊かの関生関連の本とも重なる部分があった。しかし第二章は徳之島の歴史と武建一委員長の棘のバックボーン、その重みをこれでもかという踏み込みで描き出した。誰も書いたことのない中身である。見事という他ない。

杉浦弘子監督の映画『棘』で奄美群島が沖縄よりも先に返還されたことが描かれている。本書では徳之島が鹿児島の知覧を飛び立った後に翼を休めて翌日神風特攻隊として出撃していく「不沈艦」だったことが書かれている。だから「不沈空母徳之島」への空爆は執拗に続き敗戦を迎えるのである。米の占領軍が上陸したのは武建一委員長の生家のすぐ近くだったという。

「その『棘』を話す前に徳之島を含めた奄美群島の成り立ちに触れたい。何故なら、その歴史を理解しない限り、武建一の『棘』を理解することが出来ないからである。」(166頁)

そう書いて著者は『続日本書紀』西暦797年の話にまで遡る。奄美群島は日本と琉球の支配を受けてはいたが、南国の自由さがあったという。これが農奴の島になるのは薩摩藩の襲来があったからだという。薩摩藩に対する反抗の闘いである1816年の「母間騒動」や1864年の「犬田布騒動」。更に1913年6月の徳之島の銅山ストライキが武建一の『棘』の痕跡であると著者は書いている。「奄美群島最初のストライキ」(180頁)であった。松原鉱業所の経営権は足尾銅山争議の財閥古川鉱業に引き継がれるのであるが、1928年(昭和3年)に閉山している。鉱床の枯渇が理由であるが、「実は度重なるストライキの対策に翻弄されたからだといわれている。

しかし、もし徳之島の銅山が後十年続いたら、第二の足尾銅山事件になっていたかもしれない」(184~185頁)というのが平林猛さんの見解である。

更に著者は武建一委員長の『棘』のルーツに「地方奄美無産党新興同志会」の平利文のことを記している。平利文は日本共産党の幹部に闘争資金を提供した疑いで敗戦を待たずして42歳の若さで獄死している。第二章の最後の頁は平利文の話であり、徳之島の『棘』のひとつであると。

結語

「命を懸けた書」であるのはその内容だけでなく、75歳で病魔に襲われ、倒れた過程で武建一のことを知って著者はパソコンに向かう。「悪魔の薬」ステロイドの副作用に苦しみながら「死ねない! 時間がない」と病院のベッドで悶々としながら、遂に書き上げたのが本書なのである。