民主労総の闘いから学ぶ-韓国の労働運動の歴史

民主労総の闘いから学ぶ-韓国の労働運動の歴史(はじめに)

 全文(会則/議案/声明/資料に掲載)

合同・一般労働組合全国協議会事務局長 小泉義秀

はじめに

韓国の民主労総は11・14大闘争を爆発させ、さらに12・5にそれを上回るゼネストと大闘争を準備している。世界で民主労総のようにゼネストで闘っている労働組合はない。11・14集会でハンサンギュン委員長は次のように述べた。
「第1には45年が経ってなお多くのチョンテイルがもがいている野蛮な世界を変えるために、自信をもって叫ばなければなりません。死ぬほど働いても人間らしく生きられない世の中は私たちが望む世界ではなく、その権力は私たちのための権力ではないので、労働者民衆のための世界は、私たちが作るということだ。労働者が立ち上がらなければ、世界は決して変わらない。…1千万非正規時代を終わらせ、労働者が尊重される世の中を作る覚悟で闘ってきた同志たちの歩みが感動であり、希望です」(『前進』第2707号6面)
現在、民主労総は朴槿恵の労働法制改悪と闘い抜いている。その最大の焦点となっているのが賃金ピーク制である。これは11・2-11・16の民主労総との理念交流会、動労千葉と民主労総訪日団との交流会の中でそのことが明らかになった。賃金ピーク制はすなわち動労千葉が反対の闘いを貫いてきた、シニア制度そのものである。国鉄闘争、1047名の解雇撤回闘争とシニア制度反対―外注化・非正規職化阻止の闘いは世界史的闘いなのだ。それはすなわち動労総連合建設の闘いに直結し、合同・一般労働組合全国協議会の組織強化拡大と一体の闘いである。
賃金ピーク制は日本の「賃金減額制度」を模倣したものであり、派遣法や有期労働契約などあらゆる労働法規は日本の法や制度を韓国流に作り替えて導入している。その意味では似ているのでわかりやすいという面と、似ているから同じものだとするのは間違いの元だということがわかる。
例えば2011年に李明博(イミョンバク)政権の時に導入された複数労組制の解禁の問題である。合同労組の立場からすると、ユニオンショップ協定でがんじがらめにされている会社の中で、少数派が合同労組を立ち上げて資本と闘う労働組合を新たに結成して闘う場合、複数労組制禁止の下では、その合同労組は合法的労働組合足りえない。したがって複数労組制解禁は良いことのように思えてしまう。複数労組制禁止は世界の労働組合法の原則とは異なり、労働組合結成の自由を抑圧する制度であり、不当なものであることは明らかだ。しかし民主労総の組織化と闘いはその不当な制度を逆手にとって組織を作り上げた。複数労組制解禁はその民主労総の力を削ぐために導入されたのである。
「2010年の『労働組合法及び労働関係調整法』改正によって2011年7月から企業単位の労組は二つ以上設立可能となり、複数ある労組が使用者と交渉する際には、交渉窓口の単一化、つまり交渉代表の組合を決めなければならなくなった」「会社が多くのお金をかけて躍起になって第二組合を作った理由が、結局は民主労総を認めないためであることを時々刻々と確認しなければならなかった」(『塩花の木』キムジンスク著 耕文社 2013年11月10日刊 23~24頁)
専従費を資本の側が出してきた歴史的慣行がある場合、それを不当労働行為として禁止にするのは、韓国の場合はやはり闘う労働組合の力を削ぐためのものである。日本では戦後労働法の中で不当労働行為として禁止されてきたことであるが、歴史的経緯が違うのだ。
他にも、「第三者の介入禁止」条項も日本ではありえない制度だ。
「1980年、労働組合法と労働争議関係調整法に、直接雇用契約を結んでいない第三者が労働組合の設立や団体交渉に関わることを禁止する『第三者介入禁止』条項が新設され、労組組織化を弾圧する法的根拠とされた。2006年にこのような条項は削除されたが、現在も警察がストライキ参加者や支援者を業務妨害罪で拘束する等の弾圧が続いている」(同上 13頁)
企業に雇用されている労働者以外はその労働組合に関与してはいけない法律である。そのため専従オルグや上部団体の役員などは団体交渉にも出席できないし、争議の支援もできないできた。それが犯罪とされてきたのだ。韓国では多くの労組活動家がこの法律で懲役刑を受けている。
そうなると組合員をオルグして組織するのは現場組合員自身だ。団体交渉もオルグ任せではできない。この悪法が逆に現場組合員の組織力をつけさせたのだと言える。労働組合を組織する場合も職場で最初から多数派にならなければ団体交渉をすることも、労働組合法の適用を受ける合法的労組として存在することができない。いつまでも少数派でいることはできないのだ。韓国の場合は日本の合同・一般労組のように一人分会で資本と団体交渉を行うことなどできない。だから合同労組のような形態はありえない。
他にいくつも違いがあるので韓国の労働法制改悪の歴史を学ぶのは韓国の労働運動を理解するうえで極めて重要な点である。それは我々自身の弱点を知る上でも極めて教訓的である。
更に韓国の労働運動を学ぶ上で①1970年のチョンテイルの闘いの持っている歴史的意味、②1987年の大闘争と呼ばれる闘いの意味、③1995年の民主労総結成と97年ゼネスト。この3点に焦点を当てるとわかりやすいのではないかというのが私の立場である。この3つの視点を縦軸にして、労働法制改悪の歴史を編み込んでとらえることに本稿の目的がある。韓国の労働法制改悪は今回の朴槿恵の攻撃を含めて過去4回あるというのが民主労総ソンホジュン事務処長の見解である。11・2の理念交流での民主労総ソウル本部ソンホジュン事務処長の提起のポイントは以下の点である。
「韓国の労働法改悪は4回ほど数えられる。第1回目は98年のキムテジュン政権によって行われた解雇制度の導入。経営上の理由により解雇をできる整理解雇制が金大中によって導入された。2番目は2006年。ノムヒョン政権の時に派遣労働者などの非正規職の導入。これから非正規が増える。3番目が2011年のイミョンバク政権の時に「複数労働組合設立の解禁と交渉窓口の単一化」が導入された。労働組合の専従に対しては会社から賃金が保障されていたが、イミョンバク政権の時代に廃止され、時間内組合活動が制限された。一連の労働組合に対する攻勢が続けられてきた。
さて2015年韓国における新自由主義的労働改悪をグレードアップするために法制度の改悪を行おうとしている。現在行われている朴槿恵の労働改悪は決定版であり労働組合を完全に無力化する攻撃です。したがって民主労総は資本と政権の労働法制に対して組織の死活をかけた戦いを準備しています。」(11・2理念交流提起より)
韓国の労働法、労働法制全般、さらに労働運動の歴史を学ぶ場合、労働法や労働現場の問題だけを時の政治体制と切り離してとらえることはできない。韓国の場合は日帝が植民地支配した歴史があり、1945年の解放後米軍政支配の時代が続く。朝鮮半島に統一国家を打ち立てようとする民衆の闘いは1948年の5・10選挙反対闘争として爆発し、済州道で「4・3抗争」が闘われ、さらに朝鮮戦争があり、1960年4・19革命、1961年5・16の朴正煕の軍事クーデター以来の軍事独裁体制。1979年8月9日にYH貿易の労働者が野党親民党の本部を占拠して籠城闘争に入り、朴正煕はその籠城闘争を強制的に鎮圧する。その時にその時にキム・ギョンスクさんが謎の死を遂げている。続いて釜山と馬山で労働者の決起があり、朴政権内部で内紛が起きて朴正煕は自らの懐刀によって射殺された。それが1979年10・9であり、その後全斗煥が12・12軍事クーデターで権力を掌握する。それに抗して闘い抜かれたのが1980年の光州蜂起であり、光州民衆を虐殺し、全斗煥軍事独裁体制が敷かれる。その軍事独裁政権を打倒する1987年の大闘争があったのだ。
2015年の11・14を頂点とするハンサンギュン委員長の下での数波のゼネストはこの1987年大闘争以来の朝鮮革命を現実に手繰り寄せる闘いであり、作戦計画5015計画をゼネストで粉砕する闘いである。先制攻撃、核戦争を止める力は民主労総のようにゼネストで闘うことだ。世界の労働者が民主労総のように闘うことができれば戦争を止めることができる。11・13のパリの襲撃事件と民主労総の闘いはまさに対極にある。国際連帯で闘い抜こう! 民主労総の闘いの歴史から学びとろう!

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1、全泰壱(チョンテイル)の決起

2、1987年の労働者大闘争

3、金大中政権による整理解雇制導入、派遣法導入

4、民主労総の結成とゼネスト

5、李明博政権の労働法制改悪との闘い

6、朴槿恵の労働法制改悪攻撃

結語

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