暴処法とはいかなる法律なのか?

暴処法とはいかなる法律なのか?

合同・一般労働組合全国協議会事務局長 小泉義秀

はじめに

以下は2009年2月23日、国労5・27臨大闘争弾圧裁判の第104回公判において、小樽商科大学教授・荻野富士夫先生が証言し、その際に公判廷に提出された荻野先生の証拠・資料を基にした解説である。証拠・資料は合同・一般全国協議会のホーム頁の学習欄にテキスト化して掲載してある。関心のある人はその欄を参照のこと。

労働組合死刑法=治安警察法17・30条に代わって制定された暴処法

暴力行為等処罰に関する法律(大正15年法律第60号、以下暴処法と略称する)は、1926年3月9日、当時の第51回帝国議会に政府提案され、同年4月10日制定公布、同月30日より施行された。同時期に治安警察法17条・30条が廃止になった。1900年に制定された治安警察法の中でも、第17条・30条は「労働組合死刑法」と言われる悪法で、当時の法体系の中でも問題があるとされ、世論に押され廃止となった悪法である。この治安警察法17条・30条廃止の代わりに制定されたのが暴処法と労働争議調停法(同年4月)である。同時に国会に上程されていた労働組合法は資本の側の猛烈な反対で成立しなかった。この労働組合法は団交権も争議権も認めず主務大臣による解散さえ認めたものであり、現在の労働組合法とは異なる。しかし資本はそういう労働組合法さえ認めようとしなかったのである。この暴処法の成立過程の治安警察法第17条・30条の廃止、労働関係調整法がどういうものなのかをとらえることにより、暴処法を制定した支配者階級の意図と暴処法がどのようなものかをとらえることが可能となる。
では治安警察法第17条・30条はいかなるものだったのか。1926年4月9日に公布され7月1日から施行された新しい治安警察法はこの17条・30条が削除された。この削除前の条文が以下である。原文は読みにくいので現代文に直すと以下のようになる。
「第17条 左の各号の目的をもって他人に対して暴行、脅迫し、もしくは公然誹毀(ひき=名誉棄損)し、または第2号の目的をもって他人を誘惑もしくは煽動してはならない。
1 労働条件または賃金に関して協同の行動をなす団結に加入させようと(労働組合を組織する)すること、その加入を妨げること。
2 同盟解雇もしくは同盟罷業を遂行したために使用者が労働者を解雇したり、そのことを理由として雇うことを拒否すること。労働者がストライキやポタージュをすること。使用者はそのことを理由に労働者の雇用の申し出を拒んだりしてはならない。
3 労働条件改善や賃上げを要求して雇い主にその承諾を求めること。小作の条件に関して地主に対して改善の要求をして、その承諾を強いること。以上のことを実現するために暴行したり、脅迫したり、公然と名誉棄損をしてはならない。
第30条 第17条に違反したものは1ヶ月以上、6ヶ月以下の重禁錮刑にし、3円以上30円以下の罰金を科す。使用者が労働組合に加入したことを理由に労働者を解雇してはならない。またストライキに参加しなかった者に対して暴行、脅迫もしくは公然と名誉を傷つけたものも同様の刑に処する。」
「左の各号」と言うのは1・2・3全部についてのことである。同盟解雇というのは、労働組合を組織して解雇したり、されたりすること。同盟罷業はストライキをやることである。この治安警察法17条・30条の解釈で混乱するのは使用者がしてはならないことを含めて規定していることである。あたかも労使双方に平等に禁止事項を設けるような体裁を取っているがために法文がわかりにくくなっている。
17条の大きな問題の一つは「第2号の目的をもって他人を誘惑もしくは煽動してはならない。」という下りである。これは第2号に限定しているかのようであるが、1・2・3全体を貫くものとして適用されてきたのである。第2号の「労務者ヲシテ労務ヲ停廃セシメ」ということはストライキやサポタージュ等労働者の様々な闘いを含むが、その場合必ず「労務ノ条件又ハ報酬ニ関シ協同ノ行動ヲ為スヘキ団結ニ加入セシメ」という労働組合を組織したり、労働者が団結することが必要になる。さらにまたストライキ等は必ず資本に要求を突きつけ、それを貫徹することが目的となり、それ抜きに争議行為はあり得あないので、必ず3号の「相手方ノ承諾ヲ強ユルコト」を包括しているのである。
上記治安警察法第17条・30条の廃止の代わりに暴処法と労働関係調整法が制定された。労働関係調整法の特徴は第19条にあるが、17条の「誘惑・煽動」条項がこの法律に引き継がれているのである。
当時は争議の調停は警察が行っていた。したがって警察官が調停委員会開設を宣言し、手続きが終了するまで労働者の側は争議行為ができなくなる。これに違反したら禁錮刑と罰金というわけだ。治安警察法17条・30条が労働関係調整法に引き継がれたということなのだ。暴処法には「誘惑・煽動」を禁止する条項がないからである。しかしながら、誘惑とは労働者を労働組合に組織したり、闘いを呼びかけることだ。煽動とは共に闘おうと訴えることだ。これが犯罪とされた治安警察法17条・30条は「団結禁止法」であり、それが暴処法と労働関係調整法に引き継がれたということなのである。

治安維持法と一体で制定された暴処法-合同労組の弾圧に最初に発動

暴処法は1924年7月の小作調停法の制定、25年4月の治安維持法の公布に続いて1926年4月に制定された。
暴処法制定の立法の理由として整理された文書は「1926年4月10日 暴力行為等処罰に関する法律釋義 司法刑事局」である。ここに立法の理由が書かれているがこれも原文は読みにくいので現代文に意訳すると以下のようになる。
「最近、団体を背景として威力を用いまたは暴力を用いて暴行、脅迫、毀棄または面会強請、威迫するような犯罪が増えている。これは良民に迫害を加えるものであり、彼らが登場してきた理由は思想、経済的理由、その他社会的理由がある。親告罪だと後で仕返しされると考え親告しない場合がある。暴行、脅迫、毀棄、面会強請、強談威伯のような犯罪を犯しても刑が軽い。したがってきちんとした法整備が必要である」
こうして制定された暴処法は一カ月もたたないうちに直ちに発動される。歴史的に最初の適用として確認されているのが「浜松日本楽器争議1926年4月」である。「評議会系浜松合同労組に集まる日本楽器本社工場の労働者1300人は,4月21日に衛生設備改善・最低賃金保障など16項目の要求を提出し、拒否されるとストライキに入った.評議会本部は幹部を現地に派遣して争議を指導、ストは105日間に及んだ。争議過程では〈日報〉発行など注目される戦術も生み出されたが,激しい弾圧を受け,350人の解雇・手当3万円で妥結した。」インターネットで検索して出てくる日本楽器争議(現在のヤマハ)の記述である。この争議については種々の研究があり戦前の争議の中でも注目される闘いである。この争議に暴処法が適用されたということである。
次に大審院判例として確定していく事件として第156号同年11月22日第5刑事部判決 がある。たった一人の人間の発言が多衆を背景とした脅迫と認定された暴処法1条の典型的内容である。判決文はそのままだと分かりにくいので意訳した。
(意訳)被告人は農民組合員であり、被告人の実兄が数年来小作してきた藪内某所有の京都府久世郡にある田地を久乗某が買い取った後、被告人の実兄との間で引き続き田地を小作するか否かについて交渉中であったということを実兄から聞いていた。大正15年5月10日に北尾某が新しい地主・久乗の依頼で田地を耕作しているのを発見した被告人が、この田地を誰が耕作するかについてはまだ話し合いがついていない。もしあなたが小作するなら自分は農民組合に加盟しているので後から大変なことになるかもしれない。自分の兄はその筋の人間なのでどんなことをするかわからない。私もあなたが他村の者ならば殴り倒す。こう言って農民組合という団体の威力を示して被害者・北尾を脅迫した。
「自分は農民組合に加入しているから後日大変なことになっても知らない」という言葉は被告が荒き言葉を用いたことを示している。兄が何をしでかすかわからない。自分もあなたが他村のものならば殴り倒すと述べたのは、被告が北尾に対し農民組合という団体を背景にして北尾の身体に危害が及ぶかもしれないということを示したということである。単なる注意を与えたとは認められない。故に原判決が被告を前記法条で処罰したのは正当であるというのだ。
農民組合に加盟しているということと、何がしかの危害が及ぶかもしれないという「荒き言葉」と「殴りたいくらいの気持ちだ」という実行行為が何もないただの言葉だけで有罪判決なのだ。しかもこれが暴処法1条の判例として確定していくのである。非常に抽象的な曖昧な言葉を聞いたということだけで暴処法なのだ。当時は録音テープがあるわけではない。言った言わないの世界であり、被害者側の一方的な言い分が通った判決なのである。しかも暴処法は非親告罪であるから、後述する沖野々事件と同様に、その場の話だけで治まった件に警察が介入して事件化した可能性もある。
この件は5月10日の事だから暴処法が施行されて1ヶ月後のことだ。労働運動や農民の運動を弾圧するために暴処法が直ちに発動されたことがわかる。
8月、和歌山県の水平社に対してかけられた弾圧が「沖野々事件」である。沖野々は、現在の和歌山県海南市にある部落である。水平社の組織がなかった部落における差別事件に際して、青年有志をはじめとした部落大衆が、大阪水平社の応援を得て、糾弾闘争に立ちあがった。村の有志によって、差別者に出席を求めた話し合いの場がもたれ、差別者は出席しなかったものの、一般地区の区長が出席し、この場で、沖野々部落の有志と区長とのあいだで「区長の責任によって、差別者に謝罪文を書かせる」こと、「再発防止のために人権啓発の講演会を開催する」ことが約束された。ところが、これに警察が介入。警察署長が区長宅に乗り込み、区長を恫喝して、この約束を撤回させるとともに、この話し合いを「暴力行為」にでっち上げ、応援に来た大阪水平社の栗須七郎とともに6人の沖野々の部落大衆を逮捕した。この人々に拷問を加えて、でっち上げの自白を強要し、長期投獄をねらうとともに、この部落における水平社の組織づくりの芽をつみとり、水平社にたいして打撃を加えることを企んだ事件である。暴処法が非親告罪であることを使った警察が主導した弾圧である。
こうして1926年4月の制定・施行から直ちに、労働運動・農民運動・水平社の運動に暴処法が適用されていく。そして1928年3・15弾圧直後に「治安時事法罰則を峻厳にする改正案」が出され、同時に暴処法が刑法の特別法と同時に「行政警察令」としての性格を色濃く持つようになり、労働運動や農民運動抑圧の予防措置としての機能を発揮していく。
治安維持法改正は28年6月、司法省主導のもと、緊急勅令として成立する。この改正の中身は「国体」変革に対する処罰の厳重化(死刑の導入)と『結社の目的遂行の為にする行為』の処罰(目的遂行罪)の導入であった。ここでとくに問題にすべきは後者である。これは、3・15事件での検挙・取調の過程で痛感された治安維持法の『不備』をおぎなうものであった。つまり、『党員ではないが、入会をしないが、色々命令されて活動されているものがある。併し、そういうものを処罰す方法がない』という支持者を弾圧する法律として成立している。このような経緯を通して暴処法の治安法としての機能が公然と認められるようになり、暴処法の公権的解釈にも変化が生じた。
思想検事池田克の解釈は権力側の暴処法の意図・解釈を赤裸々に吐露している。これも原文は読みにくいので意訳すると以下のようになる。
「団体若しくは多衆を仮装する」というのは団体の数が少数であるにもかかわらず、背後にもっと多くの人間がいるかのように見せかけて、相手に誤解を与える言動のことを指す。
池田の解釈によれば「多衆を仮装」するというのは相手が誤解した場合もそうなるというとんでもない内容である。「威力を示す」という点については、言葉を発しなくても、たった一人でも、顔が怖いから脅威を感じたということも暴処法の適用を受けることになる。何故なら池田によれば人の意思を制圧する一切の行為を意味するというのだから。このように暴処法というのは権力の側がどのようにでも得て勝手に治安弾圧のために拡大解釈ができるような悪法であるということだ。規定が抽象的で曖昧なだけにそうなるということだ。
暴処法の法形態上の最大の特徴は、行為の「集団性」そのものを違法性の規定的要因としている点にある。暴力法においては、処罰される主な行為は、暴行、脅迫、器物毀棄であり、行為主体は、一般人である。従って、治安警察法と異なって、市民刑法的外観を呈しているようにみえる。暴処法は行為主体を限定しないことによって、かえって、あらゆる大衆運動をその射程距離内にとらえうることになったのである。さらに、不明確な概念を多く用いており、常習犯規定を導入し、刑法にも規定されていない軽微な行為や、刑法上の犯罪の前段階的行為を処罰対象とする等の特徴をもっている。これらの点を考えると、暴処法は、形態的にも、市民刑法とは異なっており、一種の「新しい型の治安立法」といえる。

戦後の隠匿物資摘発闘争に適用

戦後の隠匿物資摘発運動に対しては、このような取締方針に基づいて、暴処法が適用されている。板橋造兵廠事件と川崎市労働者市民大会事件がその適用例である。後者は暴処法が、この期のような「民主化」の時期においてさえ、大衆運動を抑圧するために用いられうるということをよく示す適用例であった。すなわち、数千人の労働者が食糧要求デモを行い市役所に押しかけてコッペパンの配給を承諾させ、さらに、市長宅に押しかけて隠匿物資を摘発した事件で、デモの指導者3人が多衆威力脅迫罪と住居侵入罪で起訴された。ここで注意しなければならないのは、数千人の大衆が喧騒するなかとはいえ、「身体名誉等に如何なる害悪をくわえるかもしれないという気勢」を示しただけで多衆威力脅迫罪に問われていることである。
特にマッカーサーの暴民声明以後暴処法が適用されるようになる。たとえば、暴民声明以前に起きながら起訴されていなかった三菱美唄炭鉱「人民裁判」事件に対する起訴がなされた。この事件は、二千人近い大衆の面前での団体交渉が約30時間以上ほとんど不眠不休で続けられたもので(正面に「人民裁判」と大書きしたビラが貼られた)、指導者として労組幹部六人と共産党員二人が暴力法と監禁罪で起訴された。
生産管理に対しては、たとえば大和製鋼争議に対して暴処法が適用されている。この事件は、会社側が争議を妨害するために倉庫に施錠をしたのに対し、鍵の引き渡しを再三要求したが、会社側に拒否されたため、業務管理を遂行するために倉庫内の資材を搬出しようとして、倉庫の錠前を破壊したことについて、労働組合の幹部四人が共同器物毀棄罪にあたるとして起訴されたものである。このような、業務管理を遂行するためには、やむを得ない最小限の行為に対しても、暴処法が適用された。第一審裁判所は、廃棄行為を緊急避難として刑の免除を言い渡している。
1947年1月31日、内務省は、2月1日以後の個別ストもゼネストの継続として取り締まる方針を示したが、これをうけて、たとえば、北海道酪農協同札幌製薬工場事件に対して、暴処法が適用された。すなわち、ゼネスト禁止以後もストを継続しようとの同工場従業員組合の決定に従い、執行委員長以下6人は、スト遂行のため、作業を続けようとする工場長の面前でペニシリン製造に必要な器具を除去し隠匿したとして、多衆の威力を示した共同器物毀棄罪で起訴された。ここでも、器具を除去し隠匿するだけで器物毀棄にあたるという問題のある適用がなされた。さらに事件では、第一組合の威力を背景にすることが、多衆の威力を示したことになるとされている。第一審裁判所は、さすがに多衆の威力を示したとは言えないとして、無罪ないし公訴棄却を言い渡した。
1946年6月21日には、労働運動に対する戦後初めての大規模な刑事弾圧がなされ、暴処法(第二次読売争議)。すなわち、当時の読売の民主的反政府的傾向に対し、GHQの「示唆」を受けた会社が、編集権の確立を名目として編集局や論説委員の幹部6人に退社要求をしたことに端を発したもので、会社側が争議抑圧のため暴力団を使うなどし、激しい闘争を行っている中で、突然警察官500人が編集局になだれこみ、組合員56人を検挙した事件である。52人は即日釈放されたが、前記6人のうち4人は暴処法違反の容疑で送検された。
レッド・パージにより解雇された者に対する警察による家庭関係、行動等の調査があったことを知った共産党員が「かかる売国奴とその手先どもの行為は来るべき人民裁判によって裁かれるであろう」と書いたビラ数枚を付近の住民に頒布しただけで、多衆威力脅迫罪にあたるとして起訴された例がある。
たとえば、十数人で喧騒(関合同産業)、組合員数人と共にスクラムを組む(究科工業)、約束を破って帰ろうとする税務署課長の前に数十人で立ちはだかる(脇岬村反税闘争)等が、多衆の威力を示したものとされた。国鉄延岡支部の事件など、人員整理の重要な参考資料となる考課表を作成した助役に対し、その内容に不満をもった3人が「もし馘になったらばらしてやる」「我々の執行部ではこの馘首後幹部の不正摘発をすることになっている」等と言いながら2、3回手拳を振り回しただけで、多衆の威力を示した共同脅迫罪にあたるとして起訴された。
すなわち「スクラムによって入場を拒否したり、押し返したり、退場を妨げる『行為』を、多衆威力暴行罪にあたるとして起訴したのである(たとえば理研小千谷工場、究科工業、特殊製鋼等)。理研小千谷工場の事件についてみると、争議は、工場閉鎖・人員整理反対→会社側工場閉鎖強行→組合側生産管理開始→会社側工場明け渡しの仮処分申請→仮処分執行という経緯をたどるのであるが、仮処分執行のため工場に入ろうとした会社側の人間をスクラムによって拒否し押し返したというものである。その10分後、警察官30人が出動したが、これをスクラムで押し返した行為は公務執行妨害罪に問われた。このような『行為』を多衆威力暴行にあたるとすれば、個々の行為や行為者を特定しなくても、スクラムを「全体」として「犯罪視」し、スクラムを組んでいる者全員を逮捕の対象とすることができる。するとここで、刑法の暴行罪では発揮し得ない(刑法では個々の行為者の特定が必要であり、行為を個別的に評価しなければならないから)、暴処法の特殊な機能が発揮されることになる。すなわち、個々の行為や行為者を特定せずに、現場にいる者(少なくともスクラムを組んでいるもの)全員を逮捕しうることになれば、大量逮捕や指導者および活動的な人間の狙いうちも可能となる。さらに共謀共同正犯論を用いれば、現場にいない指導者の逮捕も可能となる。すると、その時点での運動抑圧が容易になるだけでなく、指導者のねらいうちによって「組織破壊」をねらうことも可能になるのである。
脅迫罪による逮捕や起訴を認めることは、事実上団体交渉権等そのものを否定することになる危険が大きい。しかも、この占領後期においては、多衆威力脅迫罪について、暴処法における治安立法的性格を最も如実に示すような適用例が多くなった。すなわち、「身体、自由、名誉等に害を加えるが如き気勢」を示しただけで、多衆威力脅迫罪にあたるとして起訴される例が多くなったのである。たとえば、国鉄福島支部事件では、三十数人で「首を切った理由を言え」と言いながら糾問の姿勢を示しただけで、身体自由に対して害を加えるべき気勢を示したとして、多衆威力脅迫罪で起訴されている。ここではもはや、その場の雰囲気や状態を処罰対象としていることになる。次にこのような適用を許すとなれば、多人数で身体、自由、名誉等に害を加えるべき気勢を示すだけで逮捕できるのであるから、個々の行為や行為者を特定する必要はなくなり、現場にいる者全員を逮捕できることになる。しかも、このような気勢の判断は、事実上警察官に委ねらえざるをえないから、たとえば労働運動の場合、団体交渉のときにはいつでも、警察が逮捕したい人間を逮捕しうるということになる。

結語

暴処法は以上のように雰囲気や「気勢」を示しただけで、しかも相手が誤解して多衆の威力を感じたことが「脅迫罪」とされるとんでもない法律である。爆発物取締罰則と暴処法が戦前からある二つの悪法である。このような法律を適用して合同労組を弾圧することは許されない。二つの悪法そのものを廃絶しなければならない。