組織拡大のために」(第1集)パンフ

目次(見出し)

合同・一般労働組合全国協議会「組織拡大のために」(第1集)の刊行にあたって

事務局長  小泉義秀

組織拡大パンフ第1集 [PDF file]

組織拡大に役立つ「パンフ」を作成することにしました。第1弾として3つの労組の仲間のインタビュー記事を転載し、編集しました。今後全国協としてオリジナルのインタビュー・座談会・合宿等を行い、第2、第3弾を出していきたいと思います。
東京西部ユニオン鈴木コンクリート工業分会の組織化は吉本さんが職場に入り、7年を経て中から組織化し、分裂攻撃を跳ね返して組織を再確立していく闘いが眼目です。鈴コン分会の凄さはここにあります。その教訓を学びたいと思います。ショーワ、ジェコーの闘いは工場の門前ビラまきから組織化され、闘いに立ちあがっていく経過が描かれています。ショーワの中労委命令の弾劾声明を末尾に掲載しました。(2012年11月)

Ⅰ 安全無視の違法職場で死亡事故 生き抜き闘うため行田分会結成

世界大恐慌と3・11情勢のもとで激化する資本攻勢と対決して爆発している非正規職撤廃闘争の発展のために、本号からシリーズを開始します。初回は一般合同労組さいたまユニオン行田分会の闘いだ。埼玉県行田市にあるホンダ系部品メーカーのショーワ本社工場で派遣労働者として働き、08年のリーマンショック直後に解雇された労働者たちが労組に結集して分会を結成、ショーワ資本に対して解雇撤回・原職復帰を求めて闘っている。3人の組合員から話を聞いた。(編集局)

 正規から非正規-派遣労働者に

――ショーワで働くようになった経緯は。

Aさん 生コンの品質管理をする仕事を15年くらいやった。高速道路工事でぼろもうけしているのに給料は上がらない。社長と大げんかして辞めた。社会保険も何もない土木の仕事の後、派遣会社のコラボレートに応募して、三菱電機からショーワに来た時には社名がプレミアラインに変わっていた。

Bさん 最初は郵便番号の読み取り仕分け機を作る会社だった。納品して組み立てて連結し、立ち上げる仕事で、15年いた。家族の事情があったのに業務命令で「3カ月出張に行け」というので腹が立って辞めた。仕方なく入った派遣会社が東洋ワークで、ホンダ金属からショーワに来た。

Cさん 工場に社員でいたけれど経営不振で首になった。交通整理の仕事で一緒だった人から派遣のリライアンスのことを聞いて、新聞広告で見つけて登録。ショーワの詰め所で面接し、そこから派遣労働が始まった。

――ショーワではどんな仕事でしたか。

Aさん バンディングという、スプリングの中に入っているピストンに樹脂を巻き付ける仕事。1人で1度に4台の機械を動かして1日7千~8千個を作った。トラブルを処理しながら、その製品の目視検査もやった。

Bさん まず組み立て現場で説明もなくて作業をやらされた。社員に聞いても手やあごで指図する。抗議したら1カ月で異動させられた。外注先で加工した棒のシャフトにメッキ付けをする現場だった。

Cさん 派遣の中で欠勤が出たとき補充に行く「欠勤対応」だった。派遣元同士が労働者の貸し借りをしていた。バンディング、鉄粉を型枠に入れてプレスしてピストンボディを作る「焼結」など、この工場の現場はすべて経験した。

 人が死んだのに機械は動いてた

――現場の状況はどうでしたか。

Bさん 07年か08年に死亡事故があった。修理しようと頭を突き出していた人がクレーンに首を挟まれたんだ。クレーンの運転者は人に気がつかなくて、免許も持っていなかった。

Aさん 修理で人が出入りする口の50㍉上を天井クレーンが通過するようになっていたそうだ。それに5㌧以上は資格がなければ運転できないのにやらせたんだ。
Bさん ショーワでは新人教育も安全教育も受けた記憶がない。この事故の後、免許がないのに「指揮命令」で無理やりフォークリフトの運転をやらされた。

Cさん 亡くなったのは社員でクレーンを運転していたのは派遣の人。人が死んでいるのに、ほかの機械は動いていた。

Bさん その派遣会社は責任を取らされて、全員撤退させられた。

Aさん 機械のメンテナンスもろくにしない。治具(ジグ)の予備もない。それで作業をさせられて不良品が流れると派遣のせいにされる。

Cさん 作業能率が悪い、物覚えが悪い、不良品を出したといって、派遣はすぐに交代させられる。毎日が緊張の連続だった。

Aさん 慣れてきたら社員がやるはずの業務日誌を書かされて、終業時間が過ぎても残業手当はつかなかった。段取りの管理や新人教育までやらされた。

Cさん 契約では行田工場が働く場所なのに、別の工場へ行かされたこともあった。

 ユニオンのビラを見て「入ろう」

――ユニオンに加入した時のいきさつを。

Aさん こういう働き方をさせておいて、一方的に契約解除だと解雇を通告してきた。08年12月末にバンディングでは何人か切られた。さいたまユニオンが翌年1月23日にストライキをやってビラをまいた。

Cさん そのビラを見たので、自分が首だと言われた時、ユニオンに電話した。Aさんにも「組合に入ろう」と誘った。

Aさん ビラを見て組合に入るつもりだった。その前に労基署に行ったけれど「法的には問題ない。契約期間前の解除は民事の問題。裁判しかない」と言われた。Cさんと一緒にユニオンの人に会って組合員になった。

Bさん 派遣元に「徹底的にやるからな」と通告して、行田分会を立ち上げた時にユニオンに入った。2月6日のストの翌日だった。

 契約期間満期まで賃金出させた

――派遣会社との団交はどうでしたか

Bさん 東洋ワークは団交をすっぽかしたり、1カ月ずつ振り込むなんて言うから、「ふざけるな!」って言ってまとめて出させた。寮も夏までに出るところを翌年の4月まで居続けた。

Aさん 日研総業とかほかは契約期間満期まで賃金を出させたけど、プレミアラインだけが決裂して裁判になった。

Cさん リライアンスもプレミアになっていたから一緒にやった。

Aさん 裁判では和解したけれど翌年まで寮に居続けた。とにかく住むところを確保するのが切実だったから。

――そして、いよいよ派遣先のショーワとの闘いに入るわけですね。

 派遣先の「雇用責任」追及 工業団地に団結を広げる 最終段階迎えた労働委員会闘争

――労働委員会での闘いは?

Aさん 派遣の首を切ったのは派遣先のショーワだ。雇用責任がある。「団交に応じろ! 元の職場に戻せ!」と、まず埼玉県労働委員会に訴えた。でも、「ショーワには(派遣労働者に対する)使用者性はない」と却下された。

Cさん だけどそれは違う。働く場は行田工場という契約だったのに、別の工場に行かされたこともあった。許せない。

Bさん 残業や休日出勤の指示はショーワの班長がしていた。派遣元に申請した年休を「なんで夜勤が休むんだ」といって取り消したのも、免許がないのにフォークリフトの運転をさせたのも、ショーワだ!

Aさん 「1年6月以内のできるだけ早い期間に終結する」はずの中労委で、すでに1年半が経過した。中労委が和解の可能性を探ったけれど、こっちが最後陳述書を出したからね。昨年12月5日に証人審問した時、持ち時間を超えてもストップをかけなかった。部会長は中労委会長で、決定が出るのは6月か7月。却下するならしてみろ。問題はそこでの勝ち負けじゃない。

 門前闘争に全金本山労組が来た

 

――4・27門前闘争とデモはどうでしたか?
Aさん 月1回の門前でのビラまきは分会結成以来、欠かさず続けてきたけれど、門前闘争は初めてだった。正直に言って10人くらい来てくれればいいと思っていたら80人も来てくれた。しかも全金本山労組まで。「宮城からよく来てくれたな。これはいいぞ」ってね。

Bさん 実は4・27に向けたビラの裏一面に本山闘争のことを載せたんだ。「泥沼化するぞ」と知らしめるために。

Aさん 地労委、中労委、地裁、高裁、最高裁と全部負けても34年間闘い続けて解雇を撤回させたお手本が、ショーワに来てくれた。

Cさん これは大きいよね。

Aさん 雨の中を工場の周りを一周するデモをやったら、どこへ行っても注目された。ビラを持って支援要請に行った事務所では、外に出てきて手を振ってくれた。

Bさん 偽装請負のやり方や、それがバレたら派遣に切り替えるやり方をジェコーに教えたのはショーワだと聞いた。

Aさん ホンダ系とトヨタ系だから仲が悪いはずだけど、労働者対策では手を組むんだよ。ここの工業団地一帯が自動車関連だし、いちばん大きいのがショーワとジェコーだから、二つの闘いの影響は大きい。正確にはわからないけれど、ショーワだけで正規・非正規合わせて700人以上いるはずだから。

 「もっとビラを」社員からメール

――ショーワの状況、反応は?

Bさん 切られた直後に寮に連絡で来た契約社員らしい2人が、「うちの会社もひどい」と言っていた。その2人もその後すぐ切られた。組合に誘ったんだけどな。

Aさん 派遣切りの半年後に準社員が切られた。組合に入れよって言ったら「退職金が思った以上に出たから」という返事だった。会社は分会が闘っているのを知っているからな。

Cさん 金で抑えたんだね。

Bさん あれから正社員も飛ばされている。飛ばされて1カ月で戻ってきたところが日本精工で、その後三菱重工業に飛ばされた人もいる。

Aさん 正社員だと思うけれど、会社の内情を暴露して「もっとビラをまいてくれ」というメールが何回か来た。社員だって腹の中では思っている。

Bさん そういう人を組合に入れるために毎月ビラをまいているんだ。

 これからの世代に派遣法残さぬ

――最後に、今後の闘いへの抱負と決意を。

Aさん これからの世代に派遣法なんて残しちゃいけない。福島のことがあり、動労千葉の話とか聞いて非正規職撤廃しかないと思っていた。それを4・27闘争ではっきり決意した。

Cさん 派遣切りで感じた悔しい思いは経験した人にしか分からない。同じ思いをほかの人には味わってほしくない。

Bさん 派遣法も非正規もすべて撤廃。派遣で首を切られて、田舎の福島にいつ帰れるかわからないダブルパンチを食らってるから、この国に怒りを覚える。会津も放射線量が高いのに、そこにおいっ子もめいっ子もいる。同じ福島県内なのに中心でぶった切って山側は内部被曝の検査をしない。新自由主義がどれだけひどいか。
これからまた失業者が増えるだろう。首を切っておいて「利益が過去最大です」なんて記者会見をやっている。ふざけるな! 働いている人間がみんな仕事をボイコットして工場から出ていったら経営陣はどういう顔をするか。やつらがギブアップしてこちらにすべてを任せればいいんだ。

――ありがとうございました。

Ⅱ 初の団交で労働組合の力を実感 偽装請負を告発して直接雇用に

埼玉県行田市には、ショーワ本社工場と1㌔隔ててトヨタ系部品メーカー・ジェコー本社工場がある。ここで派遣労働者がジェコー労組に加入して行田分会を結成、派遣労働から直接雇用をかちとりながら解雇され解雇撤回闘争を闘っている。当該の女性組合員2人に話を聞いた。(編集局)

 派遣で関東一円の工場を転々と

 

――派遣労働者になったいきさつは?
Aさん 埼玉県内の高校卒業後、縫製会社に正社員として就職したんですけど、セクハラが原因で1年未満で退職。奥日光でサービス業-仲居さんみたいな仕事-に正社員で入ったけれど、ここもセクハラで半年未満で退職。求人広告に「寮付きで月20万円稼げる」とあったのにひかれて人材派遣の日研総業に入社しました。

Bさん 茨城の高校を卒業してから化粧品製造会社に就職しました。13年間社員として働いたのにリストラされて、求人情報誌で見つけた日研総業に入ったんです。

――派遣の仕事はどうでしたか?

Aさん 埼玉県内の工業団地にある、自販機の精算機や銀行の精算機を作る会社に約4カ月、請負として働きました。

Bさん 地元を離れて宇都宮のキヤノン工場に3カ月行きました。それから木更津(千葉)のソニー工場に2カ月、船橋の光ケーブルを検査する工場に1カ月。いったん辞めて仕事を探したけれど見つからなくて。また日研で伊勢崎(群馬)のデンソーに3カ月、茨城の食品工場に1カ月。ここでは15㌔のコンテナを持つ重労働でした。日研は別の工場に移るたびに退職届を書かせて年休をゼロにしてたんですよ。

 門前でビラ受け取り労組に加入

――そのあとジェコーに来たんですね。

Aさん 2001年5月からです。自動車のエアコンの組み立てやメーターの検査などの仕事をやりました。働き始めて1週間は昼勤だったのに、その後すぐに夜勤に回されました。元々は夜勤の話はなかったんで大いに不満でした。でも、生活のため渋々受け入れたんです。

Bさん 03年の5月からです。自動車の計器類を作っていました。ベアリングもあったけれど、小さい部品だから車のどの部分なのかよく分からなくて。ネジとか何種類もの細かい部品をトレーに入れて運搬する人に渡す仕事とか、いろいろやりました。夜勤も昼夜勤もありました。

――労働組合と出会ったのは?

Aさん 06年のことです。残業が終わり寮に帰ろうとしたら、JAM神奈川ジェコー労働組合の人たちが門前で朝ビラをまいていたんです。質問に答えていたら詳しく話を聞きたいと言われ、朝食をとりながらいろいろ話しました。そうしたら、私への働かせ方は違法だと言われました。「正社員になりたい。一度も手にしたことのない、まともなボーナスがほしい」と思って組合に加入しました。

Bさん Aさんとは同じ寮の別の部屋でした。誘われて2カ月後に組合に入ったんです。

 職場で分会を結成し会社と団交

――なぜ神奈川の労組だったんですか?
Aさん 02年に会社が川崎の工場を閉鎖して100人の首を切ろうとしたとき、組合が雇用を守るために新しい事業所を確保させたんです。でもそこはほかの労働者から切り離されていて。組合は組織拡大のために、配転された人たちがいる行田工場まで定期的にビラまきに来ていたんです。

――埼玉の組合は?

Bさん JAM埼玉があって訪ねてみたんです。でも、対応した役員が「派遣のことは勉強中で」なんて、はしにも棒にもかからなくて。それに、うちの委員長が行田工場でビラをまくと、すぐJAM神奈川から「お前、今何をやっているんだ!」と電話が入るとか。会社が知らせて圧力をかけさせている。そんな組合なんです。

――会社との団体交渉はどうでしたか?

Bさん Aさんと2人でジェコー労組行田分会を結成して、組合員だと会社に通告しました。

Aさん 組合に加入するまで、会社側と直接顔を付き合わせて交渉ができるなんてまったく知らなかったんです。初めての経験だったけれど、会社に意見を言えるのが組合の力なんだと実感しました。日研との団交で、有給休暇の取り扱いなんかで私たちの言い分が通って勝利した時は、とてもうれしかったです。

Bさん 団交でジェコーに直接雇用しろと要求したけれど、拒否。それで労働局に偽装請負のことを告発したんです。形の上では日研が業務を請け負っていたのに、仕事の指示も休暇の許可もジェコーの社員がやっていたんです。労働局も無視できなくて是正指導の命令を出しました。

Aさん 会社も要求をのまざるを得なくなって、07年9月に80人近くが期間従業員として直接雇用されることになったんです。この過程で組合に入ってくれる人も出てきました。

――その翌年に会社が解雇を通告してきたんですね。(つづく)

ショーワ見ならい解雇撤回スト 派遣も非正規職も撤廃しかない 解雇の狙いは職場分会の破壊

――解雇されたときのことを。

Bさん 派遣から直接雇用になったといっても6カ月の有期雇用。正社員にしろと要求しているうちに、1回目は雇用が継続されたけれど、2回目に切ってきたんです。

Aさん 私は08年9月。契約が切れる2日前に、総務のトップから「欠勤が多いから本日をもって解雇だ」と言われたんです。法律で定めた1カ月前の解雇予告も無視して。2日後に同じ組合員のCさんも解雇。

Bさん 私は09年の4月。2月末に期間従業員全員が呼ばれて「4月末に解雇」と通告された。取締役は「会社を守ることで精いっぱい。あなたたちより株主への配当が優先だ」と。無性に腹が立ったのを覚えてます。

――狙いは?

Aさん リーマンショックを理由にしていたけれど、明らかに組合つぶしですよ。私たち分会に力がついてきているから会社は「このまま放置すると仲間が増える。まずい」と思ったんです。

Bさん 私たち期間従業員全員の首を切っておいて、3カ月後には新たに70人の派遣を入れたんですよ。何のために私たちを切ったのか!

――ストライキは?

Aさん すぐに神奈川ジェコー労組の委員長に話して、会社に解雇不当を訴えたんですけど、聞く耳を持たなかった。

Bさん 解雇を通告された後、すぐ「ストをやろう!」って言って、3月と4月に2波のストを打ちました。

Aさん 初の体験。最初にストをやったショーワの話を聞いて、ぜひ私たちもと思ったんです。

Bさん そうです。先にストを経験していたショーワの人たちに、ストの効果とリスクとを教えてもらいました。

Aさん ストをするまで色々とあったけれど、やって良かったと組合員全員が思ってますよ。

 7年の夜勤専属で睡眠障害に

――裁判闘争は?

Bさん 初めに解雇されたAさんとCさんが第1次訴訟で、私とDさんが第2次訴訟。さいたま地裁熊谷支部です。

Aさん 第1次の方はいよいよ7月23日から本人尋問が始まります。それと、私は労災認定も申請してるんですよ。
――そのことですけど夜勤はどうでしたか?

Bさん 派遣先の工場で初めて経験、ジェコーでは5年やりました。夕方6時25分から翌日の3時25分まで。ずっと立ちっぱなしで、数㍉のバネを部品に入れる細かい作業でした。夜勤でも残業は当たり前、2~3時間はザラでしたね。昼夜勤もやりましたよ。

Aさん 夜勤シフトは何回か変わったけれど、最終的にはBさんと同じ時間帯に。自動車部品の組み立てと検査が主で、毎日が眠気との闘いでした。夜勤専属の勤務は7年間にもなりましたよ。

Bさん 夜勤専属は派遣だけだったのでは? 正社員の女性もいたけど昼夜2交替だったから。

Aさん そういえば、私の部署では非正規の私だけが夜勤専属だった。

――心身への影響は?

Bさん 寮に帰ると昼勤の人たちが起き出すから、ゆっくり寝れない。疲れがとれない。体調を崩してしまって、いまだに回復してませんね。

Aさん きつかった。特に6畳の部屋にもう一人いた時はプライバシーもないし、疲れていてもゆっくり寝ることもできなくて。期間従業員になった頃はますます体調が悪化して、有休を全部使い切ってしまった。生理不順・頭痛・胃腸不良・自律神経失調などの診断をされて。それから3年近くたったけど、回復していないんです。

――詳しい検査をしたんですね。

Aさん 08年10月頃、2晩にわたって睡眠脳波の測定を行ったら、睡眠障害が見られたんです。「データに表われた睡眠障害は7年夜勤専属の結果」と結論付けられて、解析結果が雑誌の『労働科学』に学術論文として公表されました。
それで、10年夏に労災申請をしたのに却下。「夜勤専属は、日常業務が深夜の時間帯であるだけで、長時間労働を伴うものではなく、日常業務で受ける負荷の範囲内である……」なんて、許せない内容でした。いま労働局に不服申し立てを行っているところです。

 次はジェコーでデモをやりたい

――今後の闘いへの抱負と決意を。

Bさん 4・27の門前闘争には、いつも支えてくれている仲間が大勢来てくれました。地元埼玉はもちろん、東京、神奈川、栃木……、それから宮城からも。金属や機械関連の職場の人が多かったですね。この顔ぶれでやるのは去年に続いて2回目、元気が出ました。

Aさん 午前はショーワで門前闘争、ショーワの周りをデモ行進、午後はジェコーで門前闘争。マイクで会社に言いたいことを言いました。次はジェコーでもデモをやりたいですね。

Bさん ボーナスもなければ退職金もない、子どもも産めない、人生設計もできないなんて! 人を人として扱ってないんです。派遣も非正規職も撤廃しかありません。
Aさん 裁判で勝利するまで頑張りたいし体調も良くしたい。これからも神奈川ジェコー労組に全国の皆さんの力を貸してほしいと思います。

――ありがとうございました。

Ⅲ 非正規労働者に聞く 東京西部ユニオン 鈴コン分会の闘い

3カ月雇用のミキサー車の運転手が労働組合を結成して3年。東京西部ユニオン鈴木コンクリート工業分会は明るくしたたかに闘い抜いている。職場は東京都板橋区舟渡に工場を持つ生コン製造・運送会社である。「ものを言えば雇い止め・解雇」という資本の攻撃を跳ね返し、解雇撤回・非正規職撤廃を掲げて奮闘中だ。7月15日には鈴コン分会闘争支援・連帯共闘会議がいよいよ結成される。非正規職の労働者がどうやって組合を結成し団結を固めて闘っているのか、3人の分会員と世田谷地区労顧問で共闘会議の呼びかけ人でもある花輪不二男さんにその教訓を聞いた。(編集局)

参加者
内尾稔さん(分会長、勤続5年)吉本伸幸さん(分会書記長、東京西部ユニオン委員長、勤続9年)鈴木善弘さん(分会会計、勤続20年)花輪不二男さん(世田谷地区労顧問、鈴コン分会闘争支援・連帯共闘会議呼びかけ人、国鉄闘争全国運動呼びかけ人)

 結成 想像を超える決起

――鈴木コンクリート工業はどういう会社ですか。

内尾 会社は身内経営でいい加減。組合ができる以前は賃金でもなんでもどんぶり勘定です。1万5千何百何十何円とあっても、何十何円が入ってない時もあります。1時間の昼休みも30分しか休ませなくても、30分の残業代をつけない。

鈴木 入社して5年後のある日、東豊商事という所に形だけだからと言われて転籍させられました。その後、3カ月雇用の書類が出てきた。転籍前は期限の定めのない雇用だったのに。でも、当時は残業があり今よりはずっともらえていたから、よしとして働いていました。

――善さん(鈴木善弘さん)は、それで3カ月雇用更新を数十回も繰り返している。とんでもない会社ですね。

吉本 俺は鈴木コンクリート工業という会社に入ったのに、ふたを開けてみたら3カ月雇用の有限会社東豊商事の契約社員だったんですよ。

――鈴木コンクリート工業と東豊商事とはどういう関係なんですか。

吉本 25年前、鈴木コンクリート工業は組合をつくられるというので、会社は2組を先につくったんです。1組は運輸一般傘下で労働組合をつくったら弾圧を受けて、5人が逮捕されそのうち3人が200日以上の実刑をくらう。その中で85年に有限会社東豊商事というのをつくっているんです。鈴木コンクリート工業は、当時みんな正社員。組合をつくられた恐怖から東豊商事をつくって、そこに有期雇用として入れる。はっきり言えば東豊商事はダミー会社ですよね。当時を知る職場の仲間からは「3カ月雇用を打ち切られるから余計なことを言わない方がいいよ」と聞いていました。だいたい鈴木富美子(東豊商事取締役)がいつも言うのが「嫌だったら他にもっと良いところがあるだろうから辞めればいいじゃない」と。

――その中でどのように組合を結成していったのですか。

吉本 組合結成には実質上7年間かかったんです。花見、忘年会、新年会の計画を立てた。会社の脇はパチンコ屋、その隣は立ち飲み屋で、環境的にはいい。そこに行くとだいたい誰かがいて、職場の不平・不満の話がでる。そこから組合の仲間づくりを始めたのがきっかけですね。11月集会にも声をかけ動労千葉の物販もやっていました。
最終的に組合結成の判断になったのは3年前、正社員基本給の6万5千円の賃下げと、アルバイト(非正規の契約社員)に定年制がないのに、8月で60歳を迎える田口守さんに日当1万円の25%カットの7500円で働くか、辞めるかという攻撃がかかったことでした。
酒を飲まないで毎週ファミレスとかで職場の仲間と秘密会議を始めた。鈴木富美子と話をするにはどうするかとか。初めから組合という話は出なかったんですよ。でも鈴木富美子は出てこない。結局、出させるといったら団体交渉じゃないかと。あっ、これ労働組合だよなと。

 安全運転を掲げ順法闘争に入る

――そして09年7月5日、10人で組合を結成しました。

吉本 3カ月雇用契約だから組合をつくったと言ったらまず解雇になるだろうと。じゃあクビを覚悟しなかったらこれはできないとみんなで腹を固めた。
職場の仲間は「アルバイト(契約社員)は17人いるんだ。最低でもやっぱり10人は、過半数以上は取らなかったら、いざ事を1人2人で起こしたら間違いなく雇い止めになる」と。職場に戻っても秘密会議をやっている話は絶対にしないと決めた。そこから団結が生まれました。見事に他の人間には誰にも話さなかった。それが鈴コン分会ができる一つの力になったと思います。
職場の仲間がこうしようと言ったときにその話を聞かなかったら、基本になる職場がぶれちゃうからだめなんです。仲間をつくって立つ大事さ、そして何度も何度も丁寧に議論する過程が絶対必要です。

――組合を結成していよいよ第2ステージに入ります。

内尾 7月に組合を結成して11月に組合がバラバラにされるまで、内容の濃い4カ月でした。何年にも感じた。第1回、第2回団体交渉で、会社都合休みでの休業補償も過去1年分払わせた。順法闘争もやりました。過積載拒否、昼休み1時間厳守、残業拒否、始業点検をやって渋滞中は中央線1本で走る。大型車両というのは中央線専用で走って下さいよというのがあるんですよ。

吉本 運転手というのは渋滞中はすいている方を走りたいんです。でも安全にかかわる問題でしょ。事故をやると鈴木富美子に「あんたのせいだ」とされる。だから中央線1本で走ることにしたんです。

内尾 あとトン数規制、大型規制の看板があっても規制オーバーで行かされていたんだけども、そういうのも拒否。あと仲間からの提案で組合の腕章をつけて順法闘争をやりました。

吉本 組合にも17人中15人が入りました。組合が闘い出した時、闘い方に枠はないと思いましたね。俺らより職場の連中の方が「もっとこういこうよ」と出てくる。想像をはるかに超える決起が生まれた。逆にブレーキをかけなければやばかった。

内尾 組合のつくり方とか進め方ってマニュアルはない。もう抑えるのがたいへん。ずうっと会社に不平不満があって、今やっと労働組合ができて団体交渉でものが言えると。団結によって、そこが変わった。

吉本 闘いの中で、その人たちが変わっていくというのが本当に目の前で見えるんですよ。よく簡単な言葉で自己解放と言うけれど、うれしいながら逆に背筋がぞっとしてくる。

内尾 恐怖すら感じるよね。

吉本 どこまでいくんだろうと。

内尾 つっ走っちゃうから。

吉本 こっちがそう思う以上に経営側は、会社を乗っ取られてしまうという恐怖があったと思います。10人ぐらいわーっと事務所にのりこむんだから。ここまでくるかというのはありますね、組合の闘いというのは。だから「時代認識と路線」という難しい言葉じゃないけど、ぴしっとなってないと裏で工作をやられたのを見落とす、走るだけだと。敵はどうしてもそこに分断を入れようとするから。

 分裂 資本が脱退を組織

――資本の組合脱退攻撃にはどう立ち向かいましたか。

吉本 田口さんに解雇予告通知が出てから分会三役の態度が急に変わってくるんです。分会三役は当時副分会長だった内尾さん含め4人。俺は西部ユニオンの委員長をやっていたから、三役には入っていなかった。
分会会議で田口さんの解雇をストで迎え撃とうと議論していた時に、こんな組合にいたらクビになっちゃうと分会員2人が落ちる。そして09年11月1日の労働者集会の日です。「吉本さんは11月4日の分会会議には出ないでくれ」と内尾さんが言いにきた。

内尾 「分会会議に吉本委員長が来ると、みんなが自分の思っていることを言えないから来ないでくれと言ってくれ」と言われたのが俺だったんです。

吉本 その分会会議に出ないことにしたんだけど、その夜、当時の分会長からメールが入るんですよ。「鈴コン分会は解散しました。組合に残ったのは吉本さんと田口さんの2人だけです。さようなら。ごくろうさん」と。まさに天国から地獄につき落とされた。内尾副分会長(当時)を外して三役だけでそういう話を裏で決めていたんです。組合脱退の念書も分会員に書かせた。
11月10日の田口さん解雇の当日、善さんと分会員の2人が腕章をつけてくれた。同じ仲間がクビになるのに、組合はなくなったというのはおかしいだろって。そして内尾さんはこう言ったんです、俺は会社を辞める、こんなのおもしろくねえと。

内尾 組合を辞めるイコール会社を辞めるという腹積もりでいたから。でもやらないで後悔するより、やって後悔した方がいいんじゃないかと残った。

吉本 その過程でわかったことは、鈴木富美子から「会社と折り合いがつけるような組合だったら認めてやるけど、あんな吉本とか西部ユニオンみたいな強いところはだめ」と当時の副分会長が言われていた。当時の書記長は「クビになるとわかっていて闘う人間なんか誰もいませんよ」と言った。そんなの許せるかということで、もう1回やろうよと残ったのが善さん、内尾さん、田口さん、俺も入れた6人なんです。

鈴木 俺、この分会の中で一番田口さんと会話をしている時間が長いんです。俺を子どものように可愛がってくれて。それで田口さんがクビになる、これは許せないと。とにかく抗議するということで腹を決め腕章をつけました。11月4日の分会会議で俺は組合脱退を保留したんです。クビにされようとしている人間を前にして俺抜けたというわけにはいかないって。

吉本 その中で俺らが総括したのは、負けちゃいねえということ。負けていなかったら俺らの勝ちじゃんと。
残った6人はみんな職場に訴える。36協定の選挙や賃下げのことも抜けた連中も全部まきこむんです。抜けた連中は分会が嫌で抜けたんじゃない。でも田口さんの解雇がネックにある。
敵はSJK(鈴木コンクリート工業従業員の会)という形だけの2組をいつの間にかつくらせていた。「会社あっての従業員」ということを言わせる。そうじゃねえんだよというのが職場での闘いですよね。
田口さんは「俺たちは奴隷じゃねえ」と言っていた。それはSJKの連中もわかっている。敵は一つなんですよ、労働者というのは。労働者と資本家・経営者しかないんだから。そこをはっきり踏まえてやれば大丈夫だよって職場で言っています。

 職場 仲間の解雇許さぬ

――その後の闘いについてですが、11年9月、精勤・皆勤手当廃止撤回と急逝した田口組合員の解雇撤回を求めて全分会員が1日ストライキに決起します。会社は組合の宣伝活動が会社の名誉を傷つけたとして分会員3人を雇い止め・解雇にしました。しかし12年2月、1年間の賃金仮払いの仮処分決定をかちとります。12年3月24日には鈴コン分会闘争支援・連帯共闘会議準備会が結成され、花輪さんは「残った人生を鈴コン闘争にかける」と訴えました。

花輪 僕は田口さんの話を聞いて、これは鈴コン分会が生き残れるかどうかのバロメーターになるなとみていました。僕も長年、労働組合畑で生きてきましたから、資格職種の労働組合の難しさは嫌というほど経験している。この職場が嫌ならこっちだあっちだと、てめえ一人で生きられるとね。看護師などもそうです。鈴コン分会は、田口さんを守ると言って闘って、分会員3人はクビを切られてもなお闘うと聞いた時に、これは本物だと信じた。だから惚れた。
やっぱり当該が闘わなくてお助け下さい、ではだめなんです。当該がゆるがなくて初めて、周りが結集してくる。

――解雇者と現職の分会でどう団結してますか。

内尾 職場を大事にしています。俺たちは職場に必ず戻るという意識だから、やっぱり職場とつながっておかないといけない。分会会議では職場にどう広げるかが話になっています。解雇された3人が社前で訴える、職場はどういう反応かと。

――仮払い決定をかちとり社前に登場した時、職場の仲間が次々に声をかけてきましたね。

内尾 労働者の気持ちはいっしょなんですよ。お前らよくやったという笑顔です。

吉本 全部クビになって職場の仲間が一番考えたのは、どうせもちはしないよと。でも何カ月たってもクビになった人間が負けてねえといばって社前に登場している。俺らが闘うたびに社前に人が増える。それで「やっぱりやつらがやっていることは間違いなかったんだな」と。

内尾 鈴コン分会の軸がぶれなければ職場の人間もついてきてくれる。ウソにウソを固めた会社に労働者の信用がなくなってくるんです。

鈴木 会社側は労働委員会に行ってもウソばっかり。俺らはまともなことを言っているからすぐ切り返しができるわけですよ。だから負ける気がしない。勝って勝って勝ちまくれです。

吉本 俺はもともと田口さんを絶対に戻すという頭があったから、絶対に引かない。何があっても。ここの事がおそらく鈴木富美子にとったらすごい恐怖だ。俺は絶対に戻るという気持ちは忘れていない。この一点。

 地域 共闘会議の結成へ

――7月15日にいよいよ鈴コン分会闘争支援・連帯共闘会議が結成されますね。

花輪 闘う労働組合といっしょに行動をしながら、非正規の広がりに歯止めをかけていかないといけない。もうナショナルセンターの別なんてことを言って解決できる問題じゃない。共闘会議の結成を前提にしながら、鈴コンの非正規の闘いを本当に信じてもらえる組合、仲間を増やして、鈴コン分会が鈴コン分会の闘いで終わらないところを展望して闘うことです。

――結成に向けてどんな取り組みをしていますか。

花輪 連合であれ全労連であれナショナルセンターの別なく当該と回っています。国労の支援共闘がああいう結末になったことを見れば、生やさしい状況ではない。一生懸命、何回も通って闘いの本質をわかってもらいながら広げていく。

吉本 あくまで鈴コン分会の団結を基本にして、俺が支援連帯を訴えていく所は各職場なんです。いっしょに闘おうよと。こっちからその職場の闘いに行くこともあります。今回、職場単位で呼びかけになってくれる所が出てきている。

鈴木 同じ労働者ですから、労働者が団結できると思って回っています。うちもそうだよって情報交換をやっていけたら本当に共闘できる、地区労ができる。今、この団結が快感になってきたんですよ。自分個人の小さい領域でしたけれども、どんどん自分では考えられない広がりをもってきた。

国鉄闘争継承し非正規職撤廃へ

――3・24共闘会議準備会結成集会で善さんが「私たち鈴コン分会は国鉄闘争の継承者です。だからこそ勝てるのです」と発言しました。鈴コン闘争にとって国鉄闘争とは何ですか。

内尾 国鉄分割・民営化から非正規が数多く生み出されてきた中で、鈴コンの職場でもものを言えないようにされ、新自由主義が生き残る手段にされた。俺たちの闘いは一鈴コンの板橋の舟渡の闘いではなくて、日本全国、世界中の非正規の労働者の怒りをそこに集めてものを言わなければそれまでだと。

吉本 国鉄闘争の継承者というのは、労働組合の復権をかけての闘いが同じだということです。労働組合というのは解雇撤回を掲げて闘う。その原則を守り抜いているのは動労千葉であって、俺ら鈴コン分会も解雇撤回にかけている。

花輪 国鉄闘争は不当労働行為を重ねてきた政府の責任を追及しないでなんで解決できるのか、頼みます拝みますでね。それは闘うんですよ。闘うことと一人の労働者のクビも許せないということは同じなんです。これが国鉄闘争全国運動の意味じゃないですか。だから鈴コン分会に僕の生き方の一つを当てはめた。

吉本 国鉄闘争全国運動から合同・一般労組全国協議会も生まれました。職場から本当に闘う組合に変えていこうというつながりが全国協議会です。

――全日建運輸連帯労組関生支部との交流も始まり、産別の闘いにも発展しています。

鈴木 関生支部に行ったら、事務所も大きくてバスもいっぱい。関東でも是非実現してみたい。イメージもてました。

内尾 東京で拠点をつくって後々には東京生コンもつくっていきたいですね。そのためには産別を超えて地区労をつくってさらに東京全域に広げていく。

吉本 関西には、港合同の地域的な闘い、関生支部のいろいろな建設運輸の闘いがある。これをミックスしたのが共闘会議なんです。そこにあるのは労働組合の復権ですよ。

花輪 大手ゼネコンは日本全体を支配している資本の形態です。この資本の中枢にわれわれが迫る。重要な一歩ですね。

――最後に全国の仲間に一言お願いします。

鈴木 生まれてきたんだから闘って前のめりになりましょう。やっぱり小さなことでも闘いです。当たり前の賃金をもらって闘おう。

内尾 6・10国鉄集会で「団結は無限大」と発言しました。1日でも2日でも日本の労働者が全員ストをやったらこの国でも何でも変えられる。労働者が主役です。マルクスは、労働者はみすぼらしいんじゃなくてとてもすばらしいんだと言った。生まれてこの方労働者だけれども、労働者としてみすぼらしいと思ったことは一度もない。それが自信にもつながっている。みんなにその思いを伝えたい。

吉本 職場の仲間を信じて、職場で闘って労働組合をつくる。そこが基本になって声を上げたら世の中ひっくり返せる。だから職場で闘おう。ここが労働組合の原点。心配ない、鈴コン分会でできたんだから、必ずできます。どんな職場でも。

花輪 支援連帯で一歩下がったところで助けてあげますよというよりは一緒に闘うという共闘会議、これを本物にしていく。その役割を鈴コン闘争がもっている。私もその一点に集中しようと思っています。

――ありがとうございました。

 鈴コン分会 闘いの経過

2009年7月   組合結成
8月   安全・順法闘争開始
11月   田口組合員解雇
組合破壊攻撃
12月~  労働委員会闘争開始
2011年8月16日 田口組合員が急逝。62歳
9月14日 会社が精勤・皆勤手当を廃止に
20日 田口解雇撤回(名誉回復)・謝罪を要求。会社は拒否
27日 全分会員1日ストライキ
10月12日 「手当廃止へ異議」を組合員他9人の連名で会社に提出
13日 ストが就業規則違反だとして分会長、書記長に1週間の出勤停止処分
17日 分会会計に3日間の出勤停止処分(1週間抗議街宣)
27日 他組合員に2日間の出勤停止処分
11月6日 11月全国労働者集会で発言
19日 分会員への解雇予告に対し西部ユニオン緊急抗議集会
12月7日 分会長に組合の宣伝活動を理由に雇い止め・解雇
12日 分会会計雇い止め・解雇
18日 分会書記長雇い止め・解雇
22日 解雇撤回総決起集会
2012年2月29日 東京地裁で賃金仮払いの仮処分の決定
3月24日 鈴コン分会闘争支援・連帯共闘会議準備会を結成
鈴木コンクリート工業分会闘争支援・連帯共闘会議 結成集会
7月15日(日)午後4時開場赤羽会館・4階小ホール(東京都北区赤羽南1-13-1、JR赤羽駅東口から徒歩5分)
午後4時半 結成集会 午後7時 レセプション

(初出一覧)
Ⅰ 週刊『前進』(2538号3面3)(2012/06/04 ) 非正規労働者に聞く ショーワの派遣切りと闘う(上)
週刊『前進』(2539号3面3)(2012/06/11 ) 非正規職労働者に聞く ショーワの派遣切りと闘う(下)
Ⅱ 週刊『前進』(2541号3面3)(2012/06/25 ) 非正規労働者に聞く ジェコーの雇い止めと闘う(上)
週刊『前進』(2542号3面3)(2012/07/02 ) 非正規労働者に聞く ジェコーの雇い止めと闘う(下)
Ⅲ 週刊『前進』(2543号3面1)(2012/07/09)非正規労働者に聞く 東京西部ユニオン 鈴コン分会の闘い

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(資料1)
ショーワ不当労働行為救済申立事件中央労働委員会決定に対する

弾劾声明

2012年10月18日、中央労働委員会は一般合同労組さいたまユニオンが申し立てたショーワ不当労働行為救済申立事件(中労委平成22年(不再)第41号)に対して、再審査申立を棄却した。
さいたまユニオンは、満腔の怒りをもってこの決定を弾劾する。

(1)    さいたまユニオンは、2008年9月のリーマンショックを契機とする大量の派遣労働者の契約解除=解雇を行ったショーワ資本に対して、その現場で組合を結成し労働者が生き抜かんがためのあらゆる闘いを展開してきた。直接派遣労働者を解雇した派遣元各企業との団体交渉はもとより、「派遣契約中途解除」による「派遣切り」を強制したショーワにこそ派遣労働者解雇の真の責任があるとして、団体交渉を申し入れた。しかしショーワは、「派遣労働者とは直接の雇用関係にない」ということを理由として団体交渉を拒否したのである。ことの発端は、まさにこの点にある。
さいたまユニオンは、2009年6月埼玉県労働委員会に団体交渉拒否の不当労働行為の救済を申立てたが、埼玉県労委においては事実調べをほとんど行わず、申立てを却下した。ユニオンはそれを不服として2010年7月、中央労働委員会に申立てを行い、ほぼ2年にわたる審理を行ってきた結果が、今回の却下決定である。尋問が終了してから6カ月以上を経過するという異例の長期審理の末の決定というところに政府総資本の意図が見て取れる。
今回の救済申立は、「派遣切り」の責任が派遣先に有るか否かを真正面から問題にした闘いであった。派遣先に使用者性有りや否やは派遣法制定当時から問題になっていたが、時の中曽根政権はその点も含めて欺瞞的に法制化を強行したのである。そして今回、具体的な派遣労働者の解雇事件をもとにこのテーマが初めて地方労働委員会、中央労働委員会で真正面から審理されたのである。言い換えれば、解雇という労働者にとって最大の労働条件の喪失について、派遣労働者に団体交渉権は保証されているのか、憲法28条(団結権、団体交渉権、団体行動権)は派遣労働者に保証されるのかが問われた事件なのである。

(2)    中央労働委員会の却下決定では、労働者派遣法は「派遣先については、当該派遣労働者(その属する労働組合)との関係において労組法第7条の使用者に該当しないことを原則として立法された、と解するのが相当」と派遣法制定当時の国会審議を歪曲的に引用して、派遣労働者から団体交渉権を原則的に奪い去る判断を下した。これは、これまでの派遣法制定以前において労働組合の闘いによって使用者概念が拡大され、判例ともなってきた(朝日放送事件など)地平を全面的に覆す、超反動的な棄却決定だ。
そのうえで、例外として「雇用主と部分的とはいえ同視できる程度かつ現実的な支配力を有していると言える者や、当該労働者との間に、近い将来において雇用関係の成立する可能性が現実的かつ具体的に存する者もまた雇用主と同視でき」るので「労組法7条の「『使用者』と解すべき」として、個別具体的な事情によっては団体交渉応諾義務が認められる場合もあるとした。
しかしながら、ショーワ事件については具体論においても例外的にも応諾義務があるとまではいえないとして、団体交渉権を奪い去ったのである。
派遣先企業ショーワは「フォークリフトの無免許運転の強制」「派遣元企業が認めた有給休暇の取得取り消し」「個別派遣契約書記載以外での就労の強制」等々違法行為を繰り返しており、派遣法が派遣先にも定めた責任を果たしておらず、その違法行為・違法状態を派遣元がなんら是正できない状態にあった。そうであるが故に、「派遣元と交渉しても当事者能力がないのであるから派遣先に団体交渉を申し込むしかない」とした組合側の主張については、「この程度の違法は問題ではない(!)」として却下したのである。
派遣労働の現場が法令違反のオンパレードであることは労働者は皆知っている。ところが、行政機関が是正指導をせざるを得ないほどの違法でなければ問題なしとして、派遣先企業を擁護し救済する判断をしたのである。
派遣をはじめとした非正規労働者が全労働者の4割を超える中で、労働現場のあまりの無権利、強労働、強搾取、使い捨ての横行、労災事故続発という現実に対する非正規労働者の総反乱がはじまっている。
今回の決定は、その反乱から巨大独占資本を守ることを至上命題として「派遣労働者に派遣先企業との団体交渉の権利はない!」との解釈を政府、厚労省、労働委員会が打ち出してきたということだ。派遣労働者に派遣先企業との団体交渉権が認められたとなれば、一気に派遣労働者の組織化と闘争が爆発することは不可避だからだ。

(3)    まさに、今回の棄却決定は新自由主義の労働者支配を労働委員会という立場から全面的に支え補完し、国家戦略会議フロンティア分科会が7月に答申した「40歳定年制」=10割非正規職化を推し進めるために出されたものだ。野田・民主党政権の労務政策担当として自らの役割も放棄し、正規・非正規という労働者の分断支配を推し進めることを自己目的化したものだ。断じて許すわけにはいかない。
しかしこの決定が、JR検修外注化阻止決戦のまっただ中で出されたことは、新自由主義の労働者支配が徹底的に破綻していることを如実に暴き出している。
今回の決定は、6・29動労千葉鉄建公団訴訟判決の反動性、10・11鉄運機構訴訟の控訴棄却の反動判決と連なる、6000万労働者階級とりわけ2000万青年労働者に対する許しがたい攻撃である。だがこれは、非正規労働者はもとより、全世界労働者の総反乱に火をつけるものでしかない。
すでに派遣労働に対する労働者の怒りは全人民的かつ根底的なものとして噴きだしつつある。インドネシア、インド、中国の労働者のゼネストを見よ。「アウトソーシングをやめよ」はもはや全世界の労働者の共通の声だ。御用労働委員、連合御用組合幹部、御用労働学者よ、資本家どもよ、ふるえあがるがよい。
ショーワ闘争は新たな次元に突入した。私たちには偉大な先例がある。国鉄1047名解雇撤回をたたかう動労千葉、国労共闘の仲間、激闘34年の末勝利を勝ち取った全金本山労働組合の闘い。そして解雇撤回を闘い抜く西部ユニオン鈴木コンクリート工業分会の仲間をはじめとした全国の仲間とともに、派遣法撤廃、民営化・外注化阻止、非正規職撤廃の闘いの最先頭で闘うことを改めて全世界の労働者同志に誓うものである。団結!

2012年10月19日
一般合同労組 さいたまユニオン

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合同・一般労組全国協議会